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 2014年4月9日
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Yasutaka Tanji Photography
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プロフィール

 

管理者は1943年10月に広島県福山市に生まれ、高校卒業まで当地で過ごし、その後大阪でサラリーマンとしての第1歩をスタート。3年後に東京の大学に進み4年間の学生生活を過ごし、再度大阪にて社会人となり、現在に至っている。

 

社命により1984年7月にブラジル・パラ州ベレンに赴任し1993年5月に一旦帰国、3年間日本勤務の後1996年5月に再度ベレンに赴任。2002年10月に本格帰国するまで通算15年の勤務となった。その間日本では経験できないものを数多く経験させてもらった。今では社命に感謝している。

 

2003年11月に定年退職し、このHPに取り組んでいるが、まだ作成途中であり加筆・修正を加えながらブラジルの有様を伝えたい。

 

ブラジルは南米大陸で唯一ポルトガル語を母国語とする国であり、あの広大な国内を1言語で統一しているのは驚きである。

近隣諸国はスペイン語圏で、当時のスペイン艦隊の強烈さがうかがえる。

 

ブラジルに赴任するまでポルトガル語に接する機会がなく、当時小学1年生と4年生の子供を連れて家族で赴任したがサンパウロ迄の24時間、ヴァリグ機内で水を欲しがる子供達に水(Agua)が言えなくてコカコーラ(問題なく通じた)ばかり飲ませた記憶がある。

 

ご存知の様にブラジルは移民受入国であり、日本からも農業移民として戦前・戦後受け入れ、今ではその子孫もブラジル全土で100万人を数えるに至っている。中でもアマゾンへの移民者は想像以上の過酷な環境で、生きる為に密林開墾を強いられた経験をもっている。

 

日本民族特有の勤勉さと血の滲む努力がブラジル国民の信頼を勝ち得たのも事実であり、彼ら先人の努力があってこそ、我々後人がブラジルに受け入れられたのであろう。感謝の念に耐えない。

 

ブラジル勤務時に日系社会とも交流があったが、そこで感じたのは、日本以上に日本がここにあると言う事だ。今では失われつつある古き良き日本が彼らの中で脈々と息づいているのには驚きと共に感動した。 

 

 

 

 

 

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