9月29日 日本からアマゾンへの移民の町トメアス訪問。
ブラジル移民第一回は1908年(明治41年)笠戸丸により開始した。ブラジルは1888年奴隷制度を廃止した為、農業労働者が不足し、日本からコーヒー農園の契約移民として791人が移民したのが始まりである。
1928年南米拓殖株式会社(南拓)がパラ州政府から103万ヘクタールの土地を譲り受け、移住南拓事業を開始。アマゾン移民は1929年アカラに第一回移住者として43家族と単身青年8人の合計189人が入植した事から始まる。
1933年臼井牧之助氏がシンガポールからピメンタ・ド・ヘイノ(胡椒)の苗20本を持ち込み、内2本が活着、のちのピメンタ景気の元を作った。
1939年第二次世界大戦が勃発、ブラジルは1943年、ドイツ潜水艦によるブラジル輸送船撃沈を契機に、枢軸国に宣戦布告をした。パラ州政府は、日本人移民者を敵国人としてその財産を没収すると同時に、アマゾン全域の日本人をトメアスに収容した。この時から移民の町トメアスの始まりである。
1966年トメアス文化会館落成、この時からトメアス地区連合会からトメアス文化協会に改称。文化会館の中に移民資料館が併設されている。
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